くらしの情報

facebook twitter instagram YouTube

0153-87-2111

パンくずメニュートップページ >北方領土 >ふるさとへの想い(語り部 髙岡唯一) >根強い外交を願う

 知床半島に位置する「羅臼町」の全ての住民は、朝な夕な東方に目を向け「国後島」を見て生活しています。

 国後島は現在、ロシアに不法占拠されたままです。目の前に広がる海を自由に生産の場とし、生活の糧としていた時代があり、クナシリの存在があって私たちの先祖の暮らしは成り立っていました。

 私の中の印象的な思い出のひとつで、高校時代、根室漁協市場の近くにあったタラバガニ缶詰工場にアルバイトに行き、市場に大きな大鮃が並んでいるのを見ました。畳1枚の大きさもあったその大鮃は、羅臼の漁師がクナシリの海で獲ったそうで、その大鮃をみた瞬間の驚きはいまでも忘れられません。その思い出を振り返ると、当時の羅臼の漁師がクナシリの海の恵まれた資源で生活していたことが分かります。 私は、ソ連時代そして現在のロシアの不法占拠や理不尽さについて体験談をもとに記し、町民皆さんに北方領土返還を願う意味や諦めないことを強く訴えていきたいです。

過去のソ連、現在のロシアが日本に対して「自国は第2次世界大戦の戦勝国だ」と主張しています。しかし、両国の各条約、『1855年日露通好条約では、両国の国境は択捉島と得撫島の間とする。』『1875年樺太千島交換条約では、千島列島はロシアから譲り受けるかわりにロシアに対して樺太全島を放棄した。』この条約では、日本に譲渡される千島列島に属する得撫島以北18島の名称が列挙されているが、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の4島は含まれていません、また、1905年ポーツマス条約では日露戦争の結果、樺太の北緯50度以南が日本の領土となったのです。

 北方領土問題に関する両国の主な宣言・声明では、1957年の対ソ米国書簡の中で『「千島列島」という字句は、従来常に日本本土の一部であったものであり従って正義上日本の主権下にあるものと認められるべき歯舞群島、色丹島又は国後島、択捉島を含んでもいなければ含むように意図されもしなかったということを繰り返し言明する』と明記されています。

1956年の日ソ共同宣言には『両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する』また、『ロシアは歯舞群島及び色丹島を平和条約が締結された後に日本国に引き渡すことに同意する』旨が明記されています。また、過去の条約、宣言、声明、そして歴代の総理・大統領間の会談等、そして2003年小泉内閣総理大臣とプーチン大統領は、これまでに達成された諸合意に基づき、精力的な交渉を通じて、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより平和条約を可能な限り早期に締結し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきであるとの決意を確認。

 このことから北方領土の元島民は「ふるさとの想い」をもって返還を願いました。

 

 戻る

このページについてのお問い合わせ

羅臼町役場 企画財政課
0153-87-2114

このページの更新日:2023年6月6日

観光情報サイト
ふるさと納税サイト
お問い合わせ
ページトップへ